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もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

連載【戦国時代型労働思想】②本来の武士とは何か

 武士道と聞いて、多くの人が想起すると考えられるモノに新渡戸稲造の『武士道』がある。しかしながら新渡戸がその著書『武士道』の中で述べている武士の事柄は、本質的には歴史上に生きた武士とは何ら関係のないことは、多くの研究によって明らかになっている。

 例えば佐伯真一は「新渡戸の武士道はそれまでの歴史とは断絶した新しい武士道である」(佐伯真一2004p253)と主張し、また、佐伯は「新渡戸が用いた武士道と、甲陽軍艦以来の諸書で用いられてきた武士道は、偶然に文字列が一致しているだけで、いわば他人のそら似のようなものである」(佐伯真一2004p255)とも述べ、新渡戸の「武士道」が日本の歴史や文化を根拠に書かれたものではなく、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な江戸時代の武士道を著した山本常朝の葉隠れや、宮元武蔵の五輪書など武士道を論じた数々の書物とも一線をかくした新渡戸自身のオリジナルであると論じた。

 つまり、現代の我々が新渡戸の武士道から想起させられる武士像は全くの歴史的事実からはかけ離れたものであるということが言えるであろう。それでは、本来の武士というのはどのような存在であったか。

 新渡戸以外の武士像について私たちが、イメージするのは義や忠、信に篤い武士ではないだろうか。すなわち、忠臣蔵赤穂浪士新撰組会津の少年兵を集めた白虎隊などである。主君に忠誠を誓い、義に生き義に殉じるという江戸時代以降の武士こそが、本来の武士であると言えるのであろうか。

 

 武士というのは本来、戦闘を生業とする集団であることに異論はないと思う。しかし、その戦闘という職務が果たせない江戸時代という天下泰平の世が訪れた。戦闘者であるにも関わらず戦闘を行うことができないという矛盾にこの時代の武士というのは、大きく苦しんだようだ。それを示唆するかのようにこの時代多くの武士道論を著した本が出版された。その中でも最大の支持を集めたのが、山鹿素行である。素行もまた、この時代の武士とは何かを考えたようで彼はこう説く

「士は耕すことなしに食し、なにものも作ることなしに用い、商売もしないのに暮らしていける、それはなぜだろうか。(中略)職分がなくて食っていけるというのでは、それは遊民というものだ、だから、遊民とならないために、ひたすら心をこらし、自分の身についてよく考えてみなければならない。」(田原嗣朗1971p225)

 農民は稲作という職があり、職人には物を作る職があり、商人には売買というという職がある。しかし、士にはそのような職がない、職がないのに生きるのは天下に対する罪ではないかと、素行は考えた。士の職分とは何か、その考えに苦悩する素行がみてとれる。

「(前略)士にも職業がないはずはないとみずからをかえりみ、士の職分を明らかにしようとつとめて、はじめて、士の職分がはっきりするのである。」(田原嗣朗1971p226)

そして、考えに考えた末に出した結論が以下となる。

「(前略)およそ士の職というのは、主人を得て奉公の忠をつくし、同僚に交わって信を厚くし、独りをつつしんで義をもっぱらとするにある」(田原嗣朗1971p226)

 素行が考えた士の役割とは、まさしく私たち現代人がイメージする武士に近い。すなわち「忠、信、義」を重視する武士である。しかしながら、[i]この素行の答えは戦闘を生業とする武士という役割から時代を経て暇になったということになる。戦闘行為を脱した武士それが本来の武士であると言えるであろうか。また、それは、素行の唱えるこれらの思想は武士道ではなく一般的に[ii]士道と説明されていることからも明らかである。

 

 

 それでは、武士とはどのように定義できる存在であろうか、菅野覚明氏はその著書『武士道の逆襲』において、様々な時代の武士の特徴を最大公約数的に考え暫定的な定義として以下の三点からなるとしている。

「まず第一に、それは戦闘を本来の業とする者である。(中略)武士は、普段の日常生活そのものが、根本的に戦いを原理にしている人々だということである。第二に武士は、妻子家族を含めた独特の団体を形成して生活するということである。(中略)そして第三に、武士は、私有の領地の維持・拡大を生活の基盤とし、かつ目的とする存在だということである。そしていうまでもなく、所領を維持・拡大する力は、第一点の武力を行使する戦闘にあるということになる。」(菅野覚明2004p33)

 菅野のいう定義では、武士は戦闘を生業としそれをもって家族を含めた団体を形成し、自身の土地を拡大するものとされる。そして、大事なのはその拡大する力が「武力を行使する」戦闘にある。

 菅野の定義に従えば、農業に勤しみながら雇われで戦にでる足軽は武士ではないし、戦闘を生業としていても団体を形成しえない浪人などは武士ではなく、また、[iii]自身の土地を拡大するのに「武力」を行使しない江戸期の武士もまた武士ではないとなる。太平の世で武力を行使して自身の土地を拡大するということは不可能であるからだ。

 

 

 それでは、本来の生業に生きる武士とは何時代から何時代までの武士のことであると言えるのか、これに関しては明治の歴史学者である津田左右吉が、やはり新渡戸の『武士道』を批判しつつこう述べる

 「武士道は一の階級的思想なり(中略)所謂武士道の内容は既に源平時代に於て殆ど其の定形を得たるものの如し、保元平時物語以下歴代の戦記に閲して慶長元和の際に至る、其の間武士の気象と行動とに於いて多少の變遷を認むべきものなきあらざるも、こわむしろ其の枝葉の點、もしくは外形に關し、武士道の中心思想に至つては四百年間殆ど何等の變遷あるを見ざるなり」(津田左右吉 / 松島榮一編 1976p316、317)

 津田が言うには、武士道というのは「階級的思想」であり、「武士の気性と行動」であるその始まりは「源平時代」にあり、「慶長元和(江戸初期)」に行き着くとしている。

 ここで注目したいのは「階級的思想」と「武士の気性と行動」である。始めに階級的思想についてであるが、津田が指摘する階級的思想の階級とは、おそらく武士階級のことを指すのであろうが、本論では、武士道というのを武士階級の思想とはとらない。武士道というのが、日本史上に君臨した武士という特権階級の思想と考えるのは、武士の一面だけをみているだけに過ぎないと考えるからだ。

 津田の指摘した源平時代から江戸初期までの武士は、確かに武士階級として民の上に君臨し民とは違う為政者的存在であった。しかし、それは統治者としての武士という側面を強調しすぎているのではないだろうか。統治者としての武士というのは、先ほどの山鹿素行のように戦闘行為を脱した武士のことである。確かにその時代の武士も戦国大名や鎌倉御家人のように民を治め家臣を導く存在であった。その存在は素行のような江戸期の武士となんら変わらないだろう。そして、民を治め家臣を導くために素行の掲げる「忠、信、義」に生きるということを武士に課した。しかし、それは、あくまでも大名が統治のために家臣に課したものであり、武士自体がそのように考え生きたかといえばそうでもない。  

 

 

 例えば『朝倉宗滴話記』第十条には「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」とあるように武士というのは犬畜生と言われても勝たなければならないという精神がみえるのである。確かに武士と言うのは為政者でもある大名ともなればなおさらで、統治をするために家臣や領民に嘘をつかれては敵わないから、「忠、信、義」に生きることを説くこともあった。しかしながら、それは、統治者としての武士が求めた(求められた)ものであって、武士が生きるための信情、生きるための思想であったとは言いがたいのではないだろうか。

 よって本論では統治者としての武士のあり方を本来の武士とみないことにする。では、どのような武士を本来の武士とみるのかそれが、「武士の気象と行動」である。

 

 

 津田が言う源平時代から江戸初期までの武士とそれ以降の武士とでは何が違うのかというと、武士が本来もつ戦闘者としての職分をこの時代の武士は全うしていたということである。素行やその他の武士が自身のあり方に悩んでいたことをこの時代の武士は悩む必要がなかったのである。江戸期の武士の気性と行動が素行のいう「忠、信、義」にあったのに対して、この時代の武士の気性と行動は専ら「武力によって所領を維持・拡大」することにあった。すなわち江戸時代の武士が時代を経て変化する以前の戦闘者としての武士がこの時代の武士の気性と行動である。そして、その武士の気性と行動は「戦働き」にあった。そこで、本論ではその戦働きをする武士こそが本来の武士であるという風に考えることにするのである。また、何故に武士が戦働きをするのかと言えばそれは「所領を拡大するために妻子を養うため」である。そのために「勝つこと」が求められたのだ。そういう風にみていくとそこには民や家臣を統治する統治者としての武士だけではなく、力を用い勝つことで妻子を養っていく労働者としての武士がみえてくる。

 そこで、津田の指摘した時代の武士道とは、戦闘を生業とした「労働者階級」の意識と考えたい。武士道というのを武士特有の高貴で特別な武士だけの思想と考えるのではなく、普遍的な「労働者としての意識」と、考えていきたいのだ。例えば、従来では主従の論理と考えられてきたことは労使の論理として考えられる。武士を労働者であると考えることで、そにには、今まで考えられてきた「忠、信、義」を大事にする武士は存在しなくなる。我々、現代人と何ら変わらない功利的な武士が見えてくるはずだ。

 

[i] これをもって、佐伯は「士」の役割はついに戦闘の専門家ではなく、忠・信・義といった儒教的徳目を守ることとされるようになったと述べた(佐伯、戦場の精神史、227p)

[ii] 菅野はこれを太平の世が新たに生み出した儒教的な士道であるとのべるが、それは戦場における武士のあり方を否定したのではなく、儒教的道徳によって説明し直したのであるとしている。(菅野,武士道の逆襲p21,25)

[iii] 江戸時代では出世するのに家格であらかじめ決められていた。