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もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

分国法について

歴史

久々の更新ではあるが、別に寝ていたわけではない。本日の記事を書くに当たって、色々資料をまとめていたからしょうがないよね

でも、まだ、資料が不十分なところがあるので、今日は概要だけに留めたいと思う

 

さて、本日は歴史を扱うブログらしく「分国法」について記述したいと思う。

分国法というのがどんなものであるかは、皆、歴史の教科書で習ったと思うもうけれども、忘れた人とか歴史に興味がなかったという人のためにも簡単に紹介したいと思う

簡単に言えば分国法とは、「戦国大名が家臣団を統制・領国支配のために制定した基本法」です。要はその国だけに通用する法律みたいなもの

有名なものでいえば今川家の「今川仮名目録」や武田家の「甲州法度次第」が挙げられる。

さて、「家臣団を統制」するということに疑問を挟む人もいるかもしれない。何故なら多くの人が戦国大名と聞いてイメージするのは専制君主的な半ば独裁者として君臨する悪の帝王みたいなものだからだ。現に戦国大名が領民に対してむやみやたらに殺生をしたり、気に入った女性を拉致したりとそんな逸話は多い。

果たして、権力を笠に着て好き勝手威張り散らすのが戦国大名であったか?

答えは否だ。

そもそも何故、戦国大名は分国法を制定しなければならなかったか。まずそこを説明したいと思う

 

戦国時代とは一言でいえば下克上の時代だ。

政治的な理由で大名が家臣を殺すこともあったし家臣が大名を殺すこともった。

有名な例で言えば明智光秀松永久秀もこれに当たるし、大名の側で言えば毛利元就は自信に権力を集権するため重臣たる井上一族を粛清した。

 

戦国時代にオルガンチーノという宣教師がいる。彼が友人に送った手紙を要約してみた

「日本人はムチで人を罰することはしない、もし、家来が主人の異にそぐわない行動をしたときに、主人は前もって家来に怒りや憎しみを表すことなく殺してしまう。何故なら、嫌疑をかけられると家来は主人を殺してしまうからだ。」

 

反逆される前に誅殺し、誅殺される前に反逆する。こういった行為が日常的に行われていたのが戦国時代だった。

この時代の武士は江戸時代や鎌倉武士のように忠節や考、義、といった考えは持ち合わせていなかった。

逆に「反逆する権利」というものを有していたとさえ言っても差し支えないと思う

さて、これからは専制君主的な戦国大名像は誤りであるということが分かると思う。

むしろ、僕たちが思う以上に家臣と大名の関係は対等に近かったのではないかというのが正解なんじゃないか。

このような反逆権を有した家臣たちに言うことを聞かすには、それを統制するための法が必要であった。そのためにできたのが分国法である。と、いえる。

 

しかし、このような関係の中で生まれたのが分国法であると説明すればまた一つの疑問が生まれる。

大名と家臣の関係は対等に近かったならば、自らを統制する法を家臣は何故容認したのか、

ということである。

 

さて、ここで日本国憲法について考えてもらいたい。少し前に自民党解釈改憲により安保法案を通した一連の出来事があった。

憲法というのは、国を縛るものであるし、国は憲法に縛られなければならない

故に政治家は好き勝手してはならないし、できない。何故なら憲法に従わなければならないからだ。例えば憲法違反の法律などは制定できないようになっている

 

分国法もこの通りである。つまり、分国法の存在は家臣だけではなく主人すらも規制するのだ

法がなけらば主人は自身の判断で命令できるし、家臣が罪を犯しても上の例のように物をいわさず処分することができる。

しかし、法があればどうか。その法に定める通りに動くほか無い。

その最たる例が「六角氏式目」である。

これは、観音寺騒動の後に権威が弱まった六角氏に対して家臣たちが制定を強要したものである。このように分国法は家臣側にもメリットが大きいものだった。

 

さて、今回は分国法の成立過程について簡単に説明した。内容は日本の歴史「戦国大名」杉山博著に準拠した。