もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

大学生に相応しいのはどっちだろう?

 

私は、このことに関して非常に危機感を募らせている。何よりもかわいそうなのは 大学に行き学びたいにも関わらずお金が無くて通えない子が発生することだ

大学に行けというけども - もめなへむみ

 

前回の続き

少し間が空いたのはご勘弁を休日って何もする気にならないよね

一言、注意しておくと今回の記事は明らかに主観的な要素が多分に混じっている

 

前回の記事で僕は、「大学に行きたいのにも関わらずお金が無くて通えない子がいることを悲劇」とした

実際に僕の周りにもいる「親が借金していてそれを返済するために高卒で働くことを余儀なくされた人」や、「母子家庭で学費が工面できず大学にいけなかった子」など、理由はまちまちだ。

なら、奨学金があるじゃないという人もいるが、日本の奨学金は給付ではなく貸与が基本なので、卒業した後に就職できなければその時点でつんでしまう。

 

大学生に相応しいのはどっちだろう?

っていうのが今日のテーマとして問題提起したいと思う。

 

僕は現在、大学に通っている。残念ながら就職活動に失敗して留年しているのを除けばそこそこ普通の大学生であるように思う。

さて、僕はいつも授業は最前列で聞いている。いつも前にいるから教授にも顔を覚えられるくらいだ。

何で、いつも最前列で聞いているかといえば後列に向かうにつれてうるさいからだ。

もう、五回(関西では○年生ではなく○回生という。何故かは知らないけど)も大学に通っている身としては、いつものことだと諦めもついてきたが、一回生の頃は強烈だった。

うるさすぎて席を変更することもしばしばあった。

多分、大学に通った皆にも同じような経験があるように思う。

僕の通っている大学は特に難関というわけでもないけれども、とりたてて緩いというわけでもない。しかし、授業中に私語はするわ教授を怒らせて退室を命じられたりするのは結構あったと思う

彼らだって仮にもいっぱしの受験を行い、それなりの知識や教養なりを身につけたことを証明して合格したハズだが、その行動や振る舞いには疑問をていせざるを得ない。

前にもいったが、僕が学ぶ理由は「面白い」からだ。知識を培っていくのが楽しくて仕方がないからだ。

しかし、彼らもそうだろうか?彼らの言動や行いからは学びたくてきたという姿勢は感じられない。もちろん、大学に来る理由は様々でいいはずで、僕もそれを否定するつもりもない。しかし、

学びたくても学べない人がいる以上彼らの振る舞いには憤りを覚えるのもまた事実だ。

そこで、考えた。日本の受験では人の学習意欲までは計れない

 

極端な二つの例をだそう。

①学習意欲が高く学びたいが家に借金があり貧困で存分に学べる機会が与えられず大学にいけなかった人

②教育環境は比較的に恵まれ塾や学校でそれなりに勉強し、なんとなく大学に望む人

どちらが、大学生に相応しいであろうか?

 

 

世間の多くの人は多分、このように答えるだろう「大学はあくまでも研究機関であるので、学習意欲も大切だが、そのための知識が豊富でより賢い人のほうがふさわしい」と

しかし、僕は反論する「知識が豊富な人と言えども、その大半は大学受験のための知識ではないか」と

 

大学が研究機関というのであれば勉強量が多く、知識量が豊富な人が相応しいのだろうか?大学受験程度の知識量も勉強量もないが、学習意欲が高く自ら問題提起し学びたいことを学ぶ人が相応しいのだろうか?

 

僕が、大学生に相応しいと思っているのは圧倒的に①である。

 皆、思うところはそれぞれありできれば反論もいただきたいと思っている。

 

 

僕は思う大学は研究機関だ。そのために必要なのは研究意欲である。知識は後からつければいいと。

どうやって知識をつけるか?というのが、多くの方が疑問に思うことであると考えるから答えておくと、簡単なことだ知識がつくまで卒業させなければいい

日本の大学の特徴は卒業が容易で入学が難しいとい言われている。これの逆を行えばいい、誰でも容易に入学することができ、一定の学業を修めなければ卒業できないようにするのだ。

 

そのためには、勉強によらない受験方法を充実させる必要がある。

 

これなら、学習意欲があるけれども家庭環境などが理由で満足に受験勉強できなかった人でも学習の機会を与えることができるようになると思う。

また、大学受験を合格したけれども講義室の後列でふざけたりといった人も大学の中ではじくことに繋がるのではと考える。

 

しかし、この案では、そもそも貧困で大学に行けないという人の貧困性をカバーしきれていないのが現状だ。僕が考慮しているのは「学ぶ意思」にほかならないからだ。その、貧困性を少しでも解決するために一刻も早く、奨学金の全面的な給付が待たれる

僕が、日本の二大問題として考えているのが、労働問題と教育問題である。

その教育問題に対して少しでも多くの人々に関心が広がることを望む

 

いつものことながら、少々主張がとっちらかっている節がある。そのことに関しては反省反省