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もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

秀吉の浪人停止令

歴史

ということで、前回の記事から少し日がたってしまいましたが、何とか暇を見て

更新しています。

 

戦争が終結し日本中が平和になったせいで、ある問題が発生します。

それは、浪人です。

戦争が終わり兵を必要としなくなったので、それまで兵士として働き暮らして食べていた人たちは職を失い失業者として社会問題となっておりました。

 

もうすでに問題になっていたのか、秀吉は小田原城を征伐し関東・奥羽の制圧が終わった天正18年に浪人停止令なる布告を出しました。

 

その内容は以下の通りです。

 

一、主をも持たず田畠作らざる侍、相払わるべき事

(決まった奉公先も特定の主人も持たず、その上農作業もせず侍だと主張しているものは、村にいても迷惑だから追い出せ)

 

二、職人ならびに商売人、この心得を仕来り候わば、その分たるべし、この触れの後、彼の主をも持たず田畑作らざる侍ども、職人・商売仕えり候と申し候とも地下を相払わるべき事

(元々、商人や職人の経験のある侍ならば、農作業をしなくても追放しなくていいが、この令状がでてから職人や商売を名乗る物は認めない)

 

三、奉公人のほか、百姓の中は、武具類を改められ、取りあげらるべきこと

(農民からは武具を取り上げろ。しっかりした奉公人はその携帯を許す)

 

四、毒の売買のこと、在中にて仕り候儀、これまた堅く停止し、薬屋にて、毒の薬を買出したいと申す者候わば、とらえおき、糾明遂げらるべきの事

(村での毒の売買は禁止する、もし毒薬を買いたいと言う人がいるのなら捕まえろ)

 

 

さて、この浪人停止令の内容を深く見ていこう

まず第一条である。

侍の浪人と言えば身分の高い武士のことを思い浮かべがちであるけれども、ここでいう浪人とは、そうではなく戦場で主人を助けて参加する足軽や若党など狭い意味での「侍」である。

だから、この浪人停止令の矛先は、主家を失った武家の身の振り方を問題にしているのではなく、臨時雇いの「侍」たちを指しているといえるのだ。

 

次の第二条は浪人停止令の狙いが具体的に書いてある。

つまり、元々の職人や商人をしていた侍ならば許すということは、一条の「田畠作らざる侍」は全て村から追い出せというのは絶対条件ではないということがわかる、

と、いうことは問題は「主をも持たず」の方にあったらしいというのが分かる

得たいが知れない侍を排除することに重きを置いているようである。

さて、ここで少し疑問が残る。

何故、にわか職人や商人は認めないのににわか百姓になるのには特に何も言及していないのか?

この浪人停止令は浪人している侍に対して元のちゃんとした奉公人になるか、農民になるか二者択一を迫っているようにみえる。

しかし、それだけではないのではないか、にわか商人にわか職人を規制する裏には

浪人たちが職人や商人になって戦場から町場へ集中する動きを防いでいるのではないだろうか?

つまり、農場から戦場へ働き口を求めそれが終わると今度は町場へ生活の場を移そうという者たちを今一度農場へと封じ込めたいのではなかろうか?

それはなぜか?まあ、今は浪人停止令に話を戻したいと思う。

 

話は戻って第三条

これは明らかに天正16年に出された刀狩の一環であると見える

 

最後に第四条である。

これは、一見侍とは何も関係ないように見えるが、その裏には当時のある常識が働いていた。

江戸時代の百科全書である『守貞謾稿』にはヤシ(香具師、草師)の起こりは、野士(ヤシ)つまり戦国時代の野武士たちが、飢えをしのぐために薬を売り始めたのが起源とされている。

そこで、繋がってくる。ここでいう薬を売っている者たちも医者のことではなく野武士まがいの薬売りのことであるということである。

さらに、毒薬と言うと忍者を想像させるが、もしかしたらこのような者たちも忍者と繋がっていたのではないかと思われる。

 

では、前述した当時の常識と言うのも

決まった奉公先の無い浪人は危険な毒薬売りか、闇の殺し屋と認識されていたのである。

 

 

さて、次回は二条のことをもっと掘り下げ秀吉の身分法の狙いを何であったかを述べたいと思う。