もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

本当に貿易が儲かるなら皆してる

経が島

経が島(きょうがしま)は、日宋貿易の拠点である大輪田泊摂津国)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島。承安3年(1173年)に竣工する。その広さは『平家物語』に「一里三十六町」とあることから、37ヘクタールと推定されている。経ヶ島経の島とも書く。後世、兵庫津にちなんで兵庫島とも称された。

 

 

本日は、昨日の大本の話題を占めた日宋貿易の話です。

私が小学校のころ習ったことでは、「平家は日宋貿易で巨万の富を築いた」ということなのですが、

ここで疑問が残ります。

 

貿易ってマジで儲かるなら何で皆しないの?

 

 

日宋貿易というと日本人と宋の漢民族が貿易を執り行っていたというイメージが強いのですが、実はそうではありません

 

現代の貿易では

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このように中国から日本と貿易が行われているのですが

当時では

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と、このように全てを宋の商人が仕切っておりました。

当時の日本最大の貿易港は博多です。この博多には宋商人が多く住んでおり、日本との貿易の全てを掌握してました。

つまり、ほとんどの儲けは日本人ではなく宋商人のものでした。

この状況下の中平家はどのようにして貿易で巨万の富を築き上げたのか

 

平清盛はその生涯において、多くの港を整備し建造してきました。

1167年には瀬戸内海の航路にあたる音戸の瀬戸を開削

1168年には瀬戸内海の停泊港である厳島神社を整備

1173年には太田輪泊(現在の神戸港)を拡張し日本発の人口港

「経が島」を作り上げました。

 

さて、ここで疑問なのですが平清盛は何故このように瀬戸内海を開発していったのか?

 

まず第一に宋船が畿内に安全に乗り入れすることができるようにするためです。

畿内とは今の近畿地方のことで、京都に近く人口が集中していたため当時日本最大の消費地でした。

清盛は一旦博多についた船がそのまま畿内にこられるようにしたのです。

 

しかし、いくら港を整備したからといっても船の積載量が増えるわけではなく貿易の総量が増えるわけではありません。

貿易を活発化させるのであれば多くの船を作るか海賊を退治し治安の維持をして

国外のルートをより強化していったほうが効果的だったのではないでしょうか?

何故、国内のルートを強化していったのか?

 

ここで、思い出して欲しいのが当時の貿易は博多の宋商人が取り仕切っていた宋宋貿易だったということです

それは、実質的に宋の貿易船を泊められる港が博多港にしかなかったからです。

 

そして清盛の瀬戸内海航路開発はこの宋宋貿易に楔を打ち込んだことに他なりません。

 

さっきは、国内航路を整備しても貿易の総量が増えるわけではないと書きましたが、

博多を無視して神戸港に貿易船が来た場合に包装、船積み、荷揚げ、取引などの実務はどうなるでしょうか?

博多の宋商人が神戸にやってきて全てをするとは考えられません。

では、誰がやるか??

 

      日本人です。

つまり清盛が行った貿易革命ともいえる行いは

                          瀬戸内海の航路を整備する

                                 ↓

最大消費地畿内に貿易船を泊めることができる港を造る

                                 ↓

これにより博多を無視して神戸に直接貿易船を呼び込み

                                 ↓

新しい港である神戸の貿易を新たに日本人が仕切きる

 

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※(清盛の港)音戸の瀬戸厳島神社神戸港④福原

このようにして、独占貿易を築きあげることで

国内市場における独占販売権を手にいれ大きな利益をあげることで

巨万の富を築き上げたのです。

 

と、このようにして当時、貿易で利益を上げるのには様々な苦労が必要だったわけですよね。

ある程度の地位と金がなければ土台無理な話です。

 

さてさて、ここでまた疑問が生まれました。

 

そもそも何で清盛ってそんな金もってんの?

 

これはまた次回に