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もめなへむみ

歴史や経済ゲームを扱う場です。※このブログの内容は作者の個人的見解に基づくものである

連載【戦国時代型労働思想】⑬織田信長はブラック大名か?(2)過酷な出世争い

このように信長の実力主義というものは徹底して行われていたことがわかる。例えば羽柴秀吉や明智光秀が低い身分から能力を評価されて華麗な出世街道を走っていたのを見て、我々は優秀な上司織田信長に思いを馳せる。しかしながら、実力主義ということはそこ…

連載【戦国時代型労働思想】⑫織田信長はブラック大名か?(1)武士の労働条件の否定

(1)武士の労働条件の否定 前に織田家の特質は兵農分離にあると論じた。しかしながら、兵と農を分離させるということは、土地に根ざした武士というのを否定することである。一章では鎌倉・室町時代の武士が何よりも土地を「所有」していたことを論じた。そ…

連載【戦国時代型労働思想】⑪織田信長はブラック大名か?織田家の労働環境

織田信長という人物は、非常に人気の高い人物である。例えば2009年の転職サイトのリクナビNEXTの[i]「上司にしたい戦国武将ランキング」では、1位に輝いているし、同じく転職サイトのORICONキャリアの[ii]「上司にしたい偉人」には2位にランクインしている。…

連載【戦国時代型労働思想】武士は忠義ものか

ここまで武士から忠義という概念をはずし、我々となんら変わらない功利的な労使の関係に基づく労働者であると論じてきた。武士の忠節の最たる行いとされる「討ち死に」も死ねば得となる社会だから起こったものであり、その名誉も子孫のためを思えばこその利…

連載【戦国時代型労働思想】⑨去留の自由と終世雇用

(1)去留の自由 ここまで武士というのは、主従の絶対的な関係ではなく功利的な労使の関係で、かつ大名と対等の存在で、名誉意識が高く反逆権を有していたと述べた。 しかし、そうした扱いにくい武士たちの就職環境とはどのような状態だったのだろう。上に…

連載【戦国時代型労働思想】⑧戦国武士の労働者意識

戦国武士と大名の関係は極めて対等に近い関係であったことを前節で述べた。そうであるならば、戦国武士というのはどのような考えで主に仕えていたのであろうか。本節ではその戦国武士の労働者意識を考察することにするのである それでは、関東の戦国大名千葉…

連載【戦国時代型労働思想】⑦戦国武士の労働者像・分国法から見る上下の意識

前回紹介した菅野覚明氏の武士の定義で言えば、こと戦国時代の武士こそが一番、武士らしい武士であると言える。戦国時代とは、駿河の戦国大名今川義元の定めた[i]「今川仮名目録追加」第20条に「(中略)只今はおしなべて、自分の力量を以て、国の法度を申し…

連載【戦国時代型労働思想】⑥武士の労働条件とここまでのまとめ

以上のようにみるならば武士というのはその自分たちの組合長に本領安堵と新恩給与の二つ以外に、訴訟の処理能力を求めていたことは明らかである。 そして、その能力を求めて新たな主を探していたとするのならその能力というのが奉公に見合った御恩の一つでは…

連載【戦国時代型労働思想】⑤武士のニーズ

それでは具体的にどのような点が「自分たちの利益になり得ない」と考えるきっかけになり、何を「新しい組合長」に求めたのだろうか、端的に言えば武士が奉公をするにあたっての「労働条件」とは何であったのだろうか。単に御恩として本領安堵と新恩給与の二…

連載【戦国時代型労働思想】④労働組合としての幕府

幕府とはどのような組織であり、武士たちは幕府にどのような役割を求めていたか。幕府が武士に果たした役割と、武士が幕府に求めたものから武士とはどういった性格の存在であったのかを考えていきたい。 幕府という存在の大きさ、日本の歴史に果たした役割か…

連載【戦国時代型労働思想】③労働契約としての御恩と奉公

武士を語る際に外せないのが「御恩と奉公」という考え方である。鎌倉時代の承久の乱の折に尼将軍こと北条政子が並み居る御家人たちの前で亡き頼朝公の恩を説き御家人たちを奮い立たせこれに勝利を収めたのは有名な話である。このことから武士というのは義理…

連載【戦国時代型労働思想】②本来の武士とは何か

武士道と聞いて、多くの人が想起すると考えられるモノに新渡戸稲造の『武士道』がある。しかしながら新渡戸がその著書『武士道』の中で述べている武士の事柄は、本質的には歴史上に生きた武士とは何ら関係のないことは、多くの研究によって明らかになってい…

連載【戦国時代型労働思想】①はじめに、なぜ過労死が起こるのか

過労死問題を扱う時に一番の疑問として挙げられるのが、「なぜ死ぬまで働くのか」ということである。 ここをまず解題せずして過労死問題を扱うことは難しい。 例えば古代の奴隷のように枷をはめられ強制的に働かされているわけでもない。働くことを監視され…

分国法について

久々の更新ではあるが、別に寝ていたわけではない。本日の記事を書くに当たって、色々資料をまとめていたからしょうがないよね でも、まだ、資料が不十分なところがあるので、今日は概要だけに留めたいと思う さて、本日は歴史を扱うブログらしく「分国法」…

秀吉の浪人停止令

ということで、前回の記事から少し日がたってしまいましたが、何とか暇を見て 更新しています。 戦争が終結し日本中が平和になったせいで、ある問題が発生します。 それは、浪人です。 戦争が終わり兵を必要としなくなったので、それまで兵士として働き暮ら…

戦国時代の終焉

さて、だいぶ間が空きましたが、その間ずっと寝てたわけではありません! 就職活動で少し忙しかったのと、資料の整理をやっておりました 毎日更新という公約は破ってしまったものの、放置はしません。 今後とも御贔屓の程よろしくお願い申し上げます!! で…

偉い人は遠くを考える

日宋貿易で平清盛が稼ぎまくったと言う話は昨日しましたが、 じゃ、清盛の前は誰が日宋貿易を主導していたかというと、それは朝廷に他なりません 平安前期に遣唐使が廃止されたあとも、民間レベルでは細々と貿易が続いていました。 そして、その民間レベルで…

本当に貿易が儲かるなら皆してる

経が島 経が島(きょうがしま)は、日宋貿易の拠点である大輪田泊(摂津国)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島。承安3年(1173年)に竣工する。その広さは『平家物語』に「一里三十六町」とあることから、37ヘクタールと推定され…

価値観の違い

経筒 経筒(きょうづつ)は、経典を土中に埋納する経塚造営の際に、経典を納めるために用いる筒形の容器。 経塚は末法思想の影響を受けて起こったもので、写経された経典を経筒に納め、さらに石製や陶製の外容器に納め副納品や除湿剤ともに石室内に安置する…

皇朝十二銭と宋銭どうして差がついたか、環境・慢心の違い

皇朝十二銭 皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)とは、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて、日本で鋳造された12種類の銅銭の総称である。本朝十二銭(ほんちょうじゅうにせん)、皇朝十二文銭(こうちょうじゅうにもんせん)とも呼ばれる 皇朝…

熱中症には塩が効く

敵に塩を送る 戦国時代、遠江の今川と相模の北条の両氏から武田信玄が、経済封鎖をされ塩不足で困窮していたとき、長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという話に基づく。 今回は簡単に歴史的事情を経済学的目線でみればどうなるかを…